太郎ちゃんと美林ちゃんのお話

上松の民話好きさん

 昔、昔まだ神々と人間がもっと近かった頃の話です。その頃、京の都は武士が二つに分かれ天上人を巻き込んで毎日のように戦に明け暮れておりました。
 そんな都から高貴な姫が兄君が暮らしているという遠い遠い何千里と離れている信濃の国を目指して一人で旅に出ました。姫には都の武士達が自分達の戦を有利にするために官位の高い人と結婚させる話が進められており、姫君はそれが嫌で旅に出たのです。
  時の武士の総大将は、面目を失い、すぐに追っ手を差し向け、姫が承諾しない場合はその場で殺すように命じました。
 姫は、ようやく信濃の国境を越え、木曽の上松の里まで逃れて来たのは春も過ぎ、新緑が美しい時期でした。追っ手がすぐそこに迫ってきており、姫は木曽川の美しい岩に囲まれた寝覚の床を越え小川の里までようやく辿り着きました。
 小川の里でほっとしたのも束の間、追っ手がどんどんと迫ってくる声が聞こえます。姫は必死になって小川の里の高倉を越え、樹齢数百年を越えるような大きなヒノキが水面に映るどこまでも深い大きな淵のほとりに出ました。
 姫は、そのほとりで都での父君、母君や兄君との楽しかった事などを思い出し、逃れる途中で上松の里人が楽しく謡っていた唄をいつしか口ずさんでいました。姫君にはもう一歩も歩く力は残っていません。姫君は捕まって武士達に辱めを受けるより、いっそこれまでと思い、残った力を振り絞り、その淵に身を投じました。
 それから、何時くらい経ったのでしょうか。姫君は唇にふと温かいものを感じて目が覚めました。「ここはあの世とやらか」と思っていると目に入って来たのは、腰にビクを下げ、竿を傍らに置いた一人のたくましい若者でした。
 「私はこの上松の里に住む太郎という者です。」と名乗りました。太郎は、身を投げた姫に息を吹き込み助けたのでした。
 「どのようなことがあったのかは知りませんが、私でよければ聞かせてください」という言葉に促されて都から追われて来た事など今までのことを堰を切ったように話しました。
 様子を聞く太郎と名乗った若者は姫が今まで会った天上人や武士の総大将と比べても誰よりも凛々しく、気品に満ちておりました。
 姫は太郎の家に世話になることになって1ヵ月ほど経ち、二人はお互いにいつしか恋する仲となっていました。
 梅雨が終わり夏を迎えようとするある日、太郎が部屋から出ないので、そっと様子を見ると見たこともない翁がおり、びっくりした姫に気づいた翁が「私は太郎です。」と助けた亀に連れられ、龍宮城に行き、土産にもらった玉手箱を開けると翁になってしまったことなど太郎の今までの話を聞きました。
 また、太郎は、何故かは分からないが、年に一度この時期に上松の赤沢に行くと若返ることが出来ると話し、その時に偶然に姫を助けたと告げました。
 姫はたいそう驚きましたが、「貴方と暮らすこの時を大切にしたい」と告げました。姫は、近くの大山の神に「どうか、太郎さんの時を戻して下さい。」と願掛けをしました。
 何日も何日も熱心に参るのを憐れに思った大山の神は、上松の里の神々を集めて相談しました。駒ヶ岳の大神、大宮、若宮、鹿島、神明、諏訪神社に祀られている神々など上松の里の全ての神々が集まりました。
 神々は大山の神の話を聞き、一様に不憫に思っていたところ、里の一番高いところに住む駒ヶ岳の大神が言いました。「実は、若い時を失った太郎を不憫に思い、1年に一度、赤沢に咲く大山蓮華(オオヤマレンゲ)の花の香りを吸うことで失われた時をいっときだけ取り戻せるようにした」、「何時までも上松の里の美しい赤沢の山々を守り、美しい花を咲かせることができれば、太郎の失った時は1年に一度取り戻せる。このことを二人に教えてやれ」と告げました。
  早速、大山の神は姫が願掛けに来たときにそのことを告げました。姫はそのことを聞くと大変喜び、そのお告げを太郎に話しました。
 二人は、美しい林を守っていくことを固く誓い、姫はオオヤマレンゲを大事に守り育て、太郎は白く淡い匂い立つオオヤママレンゲがひっそりと咲く時期に赤沢の谷に入り時を取り戻すことができました。その後、1年に一度若返ることができる太郎と姫は長い間この上松の里で幸せに暮しました。
 今でも1年に一度、赤沢でオオヤマレンゲが咲く梅雨の時期になると太郎はいつも住んでいる寝覚の床から姫が守っている美林に会いに行くとのことです。