浦島太郎のその後

野村武敏

 竜宮で3年過ごした浦島太郎は、ふるさと「丹後の国」に帰りました。
しかし、この世では300年の月日がたっており誰知る人もなく、途方にくれた太郎は旅に出ました。
 各地を旅した太郎は、奇岩奇石の「寝覚ノ床」がとても気に入り棲みつき、乙姫様から頂いた「万宝神書」による飛行自在の秘術と長寿延命秘薬の作り方を学び、ねざめ・見帰の人たちの病を救い「みかえりの翁」と崇められていた。
 あるとき、「玉手箱」を開けると煙とともに、天に昇りいなくなりました。床にはお堂が残されそこには、弁天さまが祀られていた今も、ねざめ・見帰の人たちに大切にされている。
 日本各地を飛び廻った太郎は、いつしか伊勢の地に降り、丹後の人たちに依る「伊勢神宮創祀」の仕事に出会い、その後、20年に一度の「神宮ご遷宮」の斎行には、常世から御神木搬出の安全を祈り、神宮にご奉仕することにより20年ごとに太郎は若くなっていった。
 ある日、上松の若者たちが、浦島伝説の勉強会で臨川寺の「姿見の池」の前を通りかかった時、「カメ」さんに呼び止められた。
 太郎さんは寝覚の床に住んでいるよと教えられたが、姿が見えないのでカメさんに尋ねると「弁天さま」にお願いしなさいと言われた、「弁天さん」にお聞きすると「乙姫さん」も「オオヤマレンゲ」上松の町の花に姿を変え20年前から赤沢にお住みですよ教えられたのでお姿を求めました。
 
  しかし、弁天さまは「常世の国」に行った者は戻ってこられないので「キャラクター」にすれば〝魂〟は、入れることはできるとのことでした。
 若者たちは、「キャラ会」を立ち上げ、子供から大人も総出で素晴らしいアイデアで〝浦島太郎〟〝乙姫様〟のキャラクターが誕生しました。
 浦島太郎は、「太郎ちゃん」として、乙姫様は「美林ちゃん」として私たちの仲間になり「上松役場」に住民登録されました。
「ほうちゃん」もお友達ができてよろこんでいます。めでたし愛でたし。